デス・オーバチュア
第16話「魔界についての基礎知識」




魔族。
魔に属する高次元の生命体。
悪魔が天使に対をなし、天使が悪魔に対なすものだとするのなら、神族……すなわち神々と対をなす存在が魔族である。
彼らの住む世界を魔界と呼ぶ。
魔界は人間達が住む『地上』とは比べもにならない程に広大な世界である。
果てしないともいえるその世界には、同じように無限とも思える程の数の魔族達が存在した。
魔族の総数は一億とも一兆とも……一無量大数(数の単位の最高位)とも言われる。
だが、それはあくまで下位下級の魔族や、魔族を名乗ることも許されない有象無象の魔物達まで含めた数である。
魔界の魔族の総数の大多数は下位魔族と魔物であり、高位魔族となると突然数が激減し、その数は辛うじて五十を超え、百には満たないと言われている。
そして、高位高級を超える存在はたったの六人。
これは魔界誕生の頃から不変とも言えた。
魔界の領土を四分し支配する東西南北四人の『魔王』。
人間の世界に姿を現し、歴史にその名を残す『魔王』など、人間界(地上)に来るような下位の魔族達の中で一番強かった者に過ぎない。
そうでなければ、魔王が人間に倒されたり、封じられるはずなどないのだ。
魔王とは本来絶対の存在、たった一人で数億、数兆の魔族達を支配する者。
魔族の支配、上下とは力が全て、ゆえに魔王はたった一人で数億の魔族を余裕で滅ぼすだけの力を有する。
しかし、上には上が居る、強さには果てはなし……という言葉があるように、その四人の魔王すら逆らえるぬ存在が一つだけ……いや、二人だけ存在した。
魔界の双神……二人の『魔皇』。
全ての魔族の父にして母。
魔王達の崇める魔界の神、魔界の真の支配者にして創造主。
最古の魔族、あるいは魔族達を創造せし存在。
彼等二人は基本的に、魔族達に対し支配も管理も殆どしない。
姿を現すことも滅多にない。
故に、本来なら存在するのかしないのかすらあやふやな存在に成り果てそうなものだが……彼等二人は間違いなく存在していた。
数百、数千年に一度突然現れては、無差別に理由無く目についた魔族達を虐殺する狂った神として……。



「……皇……最狂にして絶対善の……魔眼皇……最凶にして絶対悪…………ふう、解読するだけで一苦労ね」
クロスは読んでいた辞書のように分厚い本を閉じると、ため息を吐いた。
彼女の座っている机の周りには、同じように分厚い本がいくつも積み重なっている。
そして、その書物の殆どがかなりの年代物ばかりだった。
「たまの休日には古文書の解読ですか、結構な趣味ですね」
いつの間にか、クロスの背後に藍青色……藍色を帯びた青色の髪を一本の三つ編みにした女性が立っている。
三つ編みの女性は、藍色のローブを身に纏っていた。
「……エラン……まさか、また仕事でどっか行けとか言うんじゃないんでしょうね? だったら、嫌よ、あたし」
クロスは機先を制するように言う。
「心配いりません。今日ぐらいは休ませて差し上げます」
エラン・フェル・オーベル。
クロスの魔術学園時代の友人にして現在の上司。
クリア王国の宮廷魔術師にして宰相でもある。
年若い少女にすぎない彼女が、そんな地位についていること自体が、クリアが他の国とは根本的に異なる特殊な国家であることを示していた。
「当たり前よ。昨日帰ってきたばかりなんだから……」
セピアでの一件を終え、故郷であるクリアに帰国したのが昨日の深夜。
そして、今は翌日の昼下がり、クロスは図書館で一人、古文書の解読作業をしていた。
「あなたはともかく、タナトス様にはしばらく休養が必要でしょうしね」
エランはクロスの隣の椅子に腰を下ろす。
「あたしはともかくなのね……そういえば、ルーファス知らない? ここに来る前に寄ったらもう留守だったんだけど……」
「さあ、タナトス様で『遊べない』のなら、あの御方がここにとどまる理由もないでしょうから……おそらく、『仕事』にでも行かれたのでしょう」
「アレは仕事じゃなくて道楽って言うのよ……」
「おの御方にとっては全て道楽かもしれませんね……」
エランは、先程までクロスが読んでいた古文書になんとなく目をとめた。
「テオゴニアの写本の魔界編ですか……よく見つけましたね、そんな物を……」
「最近やっと見つけたのよ。レッドの学園にも、クリアの図書館でも見つからなかったから、流石にもう手に入らないかと諦めてたんだけどね……ホワイトの古本屋で普通に売られていたのを見つけた時にはホント驚いたわ……」
「古本屋……ホントに……本物なのですか、それ……」
「いや、驚いたことに本物なのよ、これがまた」
神統紀(テオゴニア)。
この世の全てのことが書かれているとされる書物。
オリジナルはたった一冊の書物とされているが、写本は『世界』の数と同じ全七巻とされている。
『地上編』『魔界編』『悪魔界編』『神界編』『天使界編』『星界編』……さらに後一冊を足して全七巻構成……というのがもっとも有力な説だった。
「名前しか聞いたことのない星界と、名前すら解らない最後の世界……それで全七巻なんて説得力があるんだかないんだか……」
「いいえ、本当に地上編が存在するのなら恐らく全七巻、存在しないのなら全六巻というのは間違いないと思います」
「ふぇ? なんで言い切れるのよ?」
「こういうことです」
エランは一冊の辞書をテーブルの中央に置く。
「これを……人間界、人界、幻想界などとも呼ばれる、私達の生きるこの『地上』だとします」
「ふむふむ」
「で、上に『神界』」
エランは地上とした辞書の上方にさらに辞書を置いた。
「対をなす『魔界』。右上に『天使界』を左下にそれと対をなす『悪魔界』……左上と右上に残り二つを配置……これが『世界』……いいえ、『この世』の全てです」
「なるほどね、見事な六芒星ね」
六冊の辞書は地上の辞書を取り囲むように六芒星の形を描いている。
「これが魔術的にもっともバランスのよい形……神界、魔界、悪魔界、天使界の四つまでは存在するのは間違いないのですから、残り二界、私達の地上に関わりの深い世界があると考えた方が説得力があるものでしょう」
「そして同時にもっともバランスのとれる数でもあるわけね」
七つ、六芒星の形、それは中央大陸に存在する大国の数と配置でもあった。
「私達の祖先が中央大陸をそう『調節』したように、世界を作った存在も、きっとそう『調節』されていることでしょう」
「まあ、そんなでかすぎる話はあたしにはどうでもいいわよ。あたしはコレを解読して、もっと強力な古代魔術を使えるようになりたい……それが全てよ」
「魔族を知れば知るだけ、魔界魔術のキレは増し、新たな契約も結べるようになるでしょう……しかし、力だけを求めすぎてはいけません。それは魔だからではなく、聖魔関係なく……」
「はいはい、解っているわよ。使いこなせぬ力は破滅しか生み出さないっていうんでしょ?」
クロスは、お説教はごめんよとばかりに、エランの言葉を遮る。
「自滅だけならまだしも、破滅……周りに迷惑だけはかけないようにしてください」
「解ってる、解ってるわよ。でも、自戒以上に、知的好奇心は魔術師に必要不可欠な要素よ」
「あなたは知識として収めるだけではなく実践するでしょうが……そういうのは知的好奇心とは少し違うと思います」
「そうなの?」
「そうです」
クロスは、エランが公務に戻っていった後も、閉館までずっと図書館での古文書の解読に時間を費やした。



ネツァクは鋼の剣を鞘から抜き放つと、深紅のメイド服の少女ネメシスに斬りかかった。
紫光を纏った刃は、ネメシスの体に触れる直前に跡形もなく砕け散る。
「やっぱり駄目だね、言っておくけど、あたしは何もしてないよ」
「……解っている」
ネツァクは柄だけになった剣を投げ捨てた。
「紫光……強すぎるあなたの魔力を込めると並みの武器はそれだけで崩壊しちゃうわけだ」
「…………」
「やっぱり、魔力を蓄えるのに適した紫水晶か何かでできた特殊な剣でないと駄目かな?」
「…………」
「それか、本来魔族や神族が使う、人間の手には余る聖剣魔剣の類かな?」
「……聖剣、魔剣?」
「そう、神剣には及ばないけど、人間の作った名剣の遥かに上をいく剣……神族や魔族が自分で使うため、あるいは人間に力を貸し与えるために作ったもの……それなら例えネツァクが純粋な魔族並みの魔力を持っていたとしても問題なく使えるはずよ」
魔族という単語に、ネツァクの繭が一瞬だけピクリと反応する。
だが、ネツァクはネメシスに対して特に何も言わなかった。
「じゃあ、ここはあたしがいらぬ世話を焼いてあげるね」
ネメシスはそう宣言すると、空気を大きく吸い込み。
「姉さん! 姉さん! 居るんでしょ、姉さん!」
虚空に向かって叫びだした。
「姉さん! 姉さん! アト……」
『嫌がらせのような呼び方をしないでください』
姿なき声がネメシスを牽制する。
「あはははっ、ごめんね。でも、ああでもしないと姉さん出てきてくれないと思ったからさ。一方的に突然話しかけてくることはあっても、こちらからの普通の呼びかけなんかに一々答えてくれないでしょ、姉さんは?」
『答える答えない以前に、貴方が私を呼ぶことなどなかったはずです』
『声』には愛想というものが欠片もなかった。
好意も敵意もなくただ淡々としている。
いや、どことなく僅かにだが冷たさや拒絶の意志のようなものが声から感じられるような気がネツァクはした。
「まあまあ、姉さん、とりあえず久し振りに姿を見せてくれないかな? あたしはともかく、ネツァクは話にくいだろうし」
『…………解りました』
しばしの沈黙の後、声は嘆息するように応える。
ネツァクの背後が一瞬青白く光ったかと思うと、そこに一人の女性が出現していた。
透き通るような水色の長髪の女性、ネメシスよりも頭一つ分ほど長身で、シックな黒一色のドレスを身に纏っている。
彼女はなぜか常に両目を閉ざしていた。
「あれ、姉さん服の趣味変わった? 以前は確か、髪と同じ色のドレスだったよね?」
「半身たる御方の色に染まっただけの話です」
水色の髪の美女は感情の欠片もないどこか冷たげな声で答える。
「あなた好みの色に染まります? 流石、姉さんは淑女の鏡だね、昼は淑女、夜は娼……」
「ネメシス、貴方は私をからかうためだけにわざわざ呼んだのですか?」
水色の髪の美女は冷徹な声でネメシスの言葉を途中で遮った。
「まったく、相変わらず姉さんは冗談が通じないんだから……じゃあ、さっさと本題に入るよ」
「最初からそうしなさい。いくら私達が時に縛られない存在とはいえ、時間を浪費することは何の利もない愚かな行為でしかありません」
閉ざされた目の代わりに、声と言葉の内容の冷たさがネメシスを貫く。
「ホント相変わらず……と言いたいけど、もしかして姉さん機嫌悪い?」
「別に呼びつけられたことに怒ってなどいませんので、早く用件を済ませてもらえませんか?」
「はいはい、じゃあ用件だけどさ……」
ネメシスは、水色の髪の美女に、ネツァクの紫光剣を直す方法か、それに代わる聖剣魔剣に心当たりがないか尋ねた。
「というわけで、九姉妹一の知識人、過去現在未来の全てを知る全知の女神たる姉さんのお知恵を借りたいわけなのよ」
「馬鹿ですか、貴方は?」
水色の髪の美女は容赦なくそう言い放つ。
「ふぇ?」
「聖剣魔剣など歯牙ににもかけない最強の神剣であるバイオレントドーンが……」
「あ、それは駄目よ。それとイノセントドーンと呼んで欲しいわね」
「……そうですか、それならば……」
水色の髪の美女は数秒沈黙した後、再び口を開いた。
「アースブレイドでも探してみますか?」
水色の髪の美女の口元に初めて笑みが浮かぶ。
シニカル……皮肉げで冷笑的な笑みだった。
「冗談、あの時以来、歴史の表にも裏にも名前すら上がってないじゃないアレは……」
ネメシスは水色の髪の美女に負けないシニカルな笑みを浮かべて返す。
「では、私ではなくヘスティア姉上にでも頼るのですね。より正確に言うのならヘスティア姉上の……」
「あっちゃ〜、やっぱりそれしかない? いや、思いつきはしたんだけど、流石にそれはちょっと……ねえ、あの旦那は……まだあなたの旦那様に頼る方が気が楽というか……」
「姉妹最強の貴方でも、あの御方だけは怖いのですか?」
水色の髪の美女は再びシニカルな笑みを浮かべていた。
「あたしは身の程ってものを知っている……ただそれだけのことよ」
ネメシスは珍しく真剣な表情をしている。
「冷静な判断力、確かにそれもまた強さですね」
「当たり前よ、あたしは戦闘狂でも筋肉馬鹿でもないの。ただ誰よりも戦いと強さに誠実なだけよ」
「そうでしたね。では、私はこれで……ヘスティア姉上によろしくお伝えください」
水色の髪の美女の体中が透き通って、ついには背景に溶け込むように消え去った。
ネメシスは苦笑を口元に浮かべると、ネツァクに向き直る。
「……て、わけで出かけましょうか、ネツァク」
「……どこへ?」
「クリアへ……世界一の鍛冶師の所へね」
ネメシスはそう言うと、ネツァクの同意も待たずに歩き出していた。
















 『Dの余計かもしれない補足説明』
「ごきげんよう、Dです。今回は一カ所だけ説明します。藍青色(らんせいしょく)とは藍色(らんしょく)を帯びた青色のことで、そもそもの藍色(らんしょく=あいいろ)とは藍で染めた色、くすんだ青のことです。本編中で色のイメージをクドクドと説明するのもどうかと思いましたのでここで説明させていただきました……では、ごきげんよう」






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一言感想板
一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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